音楽プロデューサーの小室哲哉さんが不倫騒動、引退発表が話題になっています。
妻であり、同じglobeのメンバーでもある、KEIKOさんがくも膜下出血で倒れたのは、2011年のこと。
以後6年以上もの間、献身的に妻のKEIKOさんを支え、介護し続けてきた小室さんですが…
不倫は許されることではないと思いましたが、あの引退会見を見ていると、やはり奥さんの介護と音楽活動を続ける日々は相当苦しかったのかな…とも思いました。
そして、小室哲哉さんの他にも、夫や妻を介護した経験がある芸能人はあるのか?ということも気になりました。
という訳で、夫や妻を介護した経験がある芸能人についてまとめてみました。
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旦那さんを介護している森公美子さん
森公美子さんはミュージカル歌手や女優として活躍する一方、ふくよかな体型と明るく飾らないキャラクターを売りにバラエティーなどでも活躍するタレントさんです。
また、料理上手で、レシピ本なども出版されています。
2001年に一般人の男性と結婚しましたが、2006年にそのご主人が交通事故にあり、脳挫傷という大けがを負ってしまいます。
以後、15年以上もの間、ご主人の治療やリハビリを支えつつ、自宅での介護を行っているそうです。
事故直後は意識がない状態が長く続き、深刻な状態だったそうです。
意識を取り戻しても、言語機能、身体機能ともに著しく低下しており、意思の疎通が難しく、寝たきりの状態だったと言います。
治療やリハビリの甲斐あって、徐々に言葉も取り戻し、寝たきりの状態からは脱したようですが、現在も100%回復している訳ではなく、言語機能、身体機能ともに後遺症がある状態ようです。
言葉に障害があり、車いすに乗って生活しているという話もありました。
ご主人の介護について、森さんはTVで何度かその想いを語っています。
ふくよかな体型が特徴的な森さんですが、「夫のためにも健康で長生きしなければいけない」と思い、TV番組の中でダイエットにも挑戦。
2013年、TBSの『金スマ』の中での企画です。
美木良介さん考案のロングブレスダイエットに挑戦し、108.2kgから79.6kgへ、約28kgもの減量に成功しています。
その後多少リバウンドはしたようですが、ご主人のために…という気持ちでの大幅なダイエットは本当にすごいなと思います。
大山のぶ代さんを介護していた砂川啓介さん
大山のぶ代さんと言えば、日本を代表する人気アニメ『ドラえもん』の初代ドラえもんの声を担当していた声優さんです。
昭和生まれの私たち世代にとって、ドラえもんは大山のぶ代さんという印象は未だに消えません。
大山さんがドラえもんの声を演じたのは2005年の3月までですが、その後も声優として活躍されていました。
しかし、2012年の秋ごろ、認知症を患っていることが発覚したそうです。
ただ、診断を受けたのは2012年ですが、その4年前の2008年に脳梗塞を患い、記憶障害もあったことから、はっきりとした発症時期はわからなかったそうです。
大山さんが認知症と診断された後、夫である俳優の砂川啓介さんが大山さんの介護を行っていたそうです。
ちなみに、砂川啓介さんは、俳優、タレントで、NHKの子ども番組『おかあさんといっしょ』の初代たいそうのおにいさんを務めた人です。
大山さんの認知症は、しばらく伏せられていましたが、認知症発覚から3年後の2015年にTBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』に砂川さんがゲスト出演した際に、公表。
親友でタレントの毒蝮三太夫さんに促されたことがきっかけだったそうです。
また、砂川さんは、同じ2015年に、妻大山さんの介護のことを綴った本も出版します。
『娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代『認知症』介護日記』という本です。
これは当時大きな話題になりました。
この著書では、介護生活の他、結婚後のこと(子ども、自身の浮気、性生活など)についても赤裸々に語られています。
また、大山さんが自身が演じたドラえもんについて、覚えていないことについても書かれていました。
大山さんが自宅での生活を希望したこともあり、砂川さんは、家政婦さんの力を借りつつ、自宅で、大山さんの介護を続けたそうです。
それは4年ほど続きましたが、2016年4月に砂川さん自身が尿管がんの治療に専念することになり、自宅での介護を断念。
以後、大山さんは老人ホームに入所することとなりました。
大山さんを老人ホームに入所させること自体、苦渋の決断だったようですが、まずは自分がしっかりがんを治さないとと思って決めたそうです。
「君を置いて先に死ねない」と闘病していた砂川さんでしたが、2017年7月に帰らぬ人となりました。
最期まで大山さんを気にかけていたそうです。
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南田洋子さんを介護していた長門裕之さん
俳優の長門裕之さんと女優の南田洋子さんご夫婦はおしどり夫婦として知られていました。
南田洋子さんは、女優業をしながら舅の介護をしたという経験を持っていましたが、ご自身も2004年頃から認知症を思われる症状が現れ始め、2006年に芸能活動をひっそりと引退。
その後、アルツハイマー型認知症の診断を受けます。
認知症の診断後、南田さんを介護したのは、夫の長門裕之さんでした。
数年間は、南田さんが認知症であることは伏せられていましたが、2008年に長門さんがテレビ朝日の『徹子の部屋』に出演した際に、初めて明かされました。
また、同じ2008年には、ドキュメンタリー番組にも出演し、長門さんの介護生活や南田さんの現状などが放送されると、大きな反響を呼ぶこととなります。
また、2009年5月には、介護生活と妻への深い愛情を綴った『待ってくれ、洋子』という本も出版しています。
一方、南田さんは、2009年4月に意識が混濁状態になり、病院へ救急搬送。
一度は退院したが、同じ2009年10月に今度はくも膜下出血で倒れ、再入院。
その数日後、帰らぬ人となりました。
長門さんは舞台の仕事のため、最期を看取ることは出来ず、また舞台の日程の関係もあり、死後から数日経過後、舞台の千秋楽を終えてから、葬儀、告別式を行うこととなりました。
いわゆる老老介護(高齢者が高齢者を介護すること)の状態ではありましたが、介護の辛さよりも、南田さんへの愛情を語ることの方が多かった長門さん。
南田さんも、くも膜下出血で倒れた際も、回復を信じつつ、「いつでも逝ってもいいよう、100万べん別れを告げていた。」「一生分のキスをした」と語っているエピソードもあります。
なお、南田さんの死の1年半後に、長門さんも脳出血でこの世を去っています。
大島渚さんを介護した小山明子さん
大島渚さんは、『戦場のメリークリスマス』、『御法度』などといった代表作を持つ映画監督。
そんな大島渚さんの奥様は、女優の小川明子さんですが、晩年はご主人の大島渚さんの介護を経験されています。
大島さんが病に倒れたのは、1996年。
1月に新作『御法度』の製作を発表した2月のことでした。
病名は脳出血。
リハビリに励み、3年間かけて、映画『御法度』を完成させました。
大島さんが倒れた際、女優業を行っていた小山さんでしたが、夫のために、仕事を全て断って、介護に専念することになります。
しかし、今まで女優一筋だった小山さんは慣れない介護生活に心身を病み、うつ病を発症してしまったそうです。
しかし、どうしても映画を完成させて欲しい!監督に復帰して欲しい!という思いから、なんとかうつ病を克服、治療やリハビリを支え、献身的に介護を続けた結果、映画の完成に至ったのでした。
しかし、その2年後の2001年に、大島さんは、十二指腸潰瘍穿孔で再び倒れます。
手術は成功したものの、病状は悪化、介護認定で要介護5(一番重い区分)の認定を受けることとなります。
病状悪化後はさらに、排泄も自力で出来ない状態だったため、一時は「死にたい」と周囲にもらすこともあったほど追いつめられていたという小山さん。
しかし、ユーモアを忘れずに介護を行ったり、介護する側のリフレッシュも大切にしたり、完璧な介護を目指しすぎないようにするなど、うまく介護生活を乗り切る方法を見つけていったと言います。
そういったことは、2011年に出版した『小山明子の幸せ日和 大島渚を歩んだ五十年』という著書にも綴られています。
2013年1月に、大島さんは肺炎のため、お亡くなりになります。
およそ17年にもわたる、長い介護生活でしたが、最期を看取ることも出来て、「ご苦労さまでした。もう何も悔いはありません」とインタビューでは話されていたそうです。
まとめ
以上、夫や妻を介護した経験がある芸能人について でした。
夫婦愛を感じるエピソードが多かったですが、壮絶な話も多く、介護は愛だけでは乗り越えられない、きれいごとではない問題だと痛感しました。
読んで頂いてありがとうございました。
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